(つづき) 今のQMA界をふりかえりながら、色々考えてみる……

(※これは、上の話ビックリ! 「ウルトラクイズ時代」の早押しの何割かは、決まり切った問題でできていた?の続きです)


 さて。


 「復習用メモを取る」ことは、しばしば邪道と見なされます。これは、メモする行為そのものより「『問題』そのものを覚えることで強くなろうとする」ことが邪道と見なされる(場合がある)ということでしょう。(「素の知識」で勝負しないのは卑怯だ! みたいな)
 仮にそうだとして、じゃあ、かつての「ウルトラクイズの早押し」は邪道だったのでしょうか? 「ウルトラクイズの早押し」といえば、今につながるクイズの原点と言ってもいいくらいのポジションにあります。それが邪道だったのでしょうか?


 あるいは「ただ一般人としてクイズを楽しみたい人が、クイズ王的なアプローチをしたい人と戦わないといけないのは、たまらない」といった考え方もあるかもしれません。確かに、それはたまらないでしょう。「3」の組システムである程度緩和はされたと思いますが、本質的にはその問題はなくなっていない、とますみは思います。
 しかし、それは「クイズ王的なアプローチをするのが邪道だ」ということとは別ですよね。「『問題』そのものを覚えることで強くなろうとするのは邪道だ」と言うことは、「クイズゲームなのに、クイズ王的なアプローチをするのは邪道だ」と主張することにならないでしょうか? 別に主張してもかまわないのですが、それでは「何をいいたいのか、今ひとつよくわからない」ことになりませんか。


 あるいは、「QMAの現状と、かつてのリアルクイズ界の状況は違う」という見方もできるかもしれません。確かに、完全に同じではないでしょう。しかし、では、全然違うのでしょうか? 何か本質的な違いがあるでしょうか。程度の差があるだけではないでしょうか。
 ますみの書いていることは間違っているかもしれません。では、いったい何が間違っているのでしょうか。


 この話はここで終わりです。結論はありません。この文章の目的は、(繰り返しですが)
1)「QMA復習用メモ」について考える上で、参考になるかもしれないページを紹介すること。
2)それを参考に、ある視点から問題提起を行うこと。
 の2つですから。


 みなさまは、どうお考えですか?


P.S.
 ただ「メモ」と書かずに、しつこく「復習用メモ」と書いているのは、「カンニングペーパー」と区別して考えるためです。


P.S.2
 ますみ自身が「復習用メモ」肯定派だということは言い添えておきます。QMAシリーズをプレーしはじめて3年弱、「復習用メモ」否定派だったことは、一度もありません。